【3話】(日記)異文化交流をしてたらダメ人間になりかけた。の話

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半径数メートルに世界がある不思議。

雨、雨、雨のフィリピン。

 

8月2日にフィリピンに入国してから今日まで

8日間、8割が雨天という最高に恵まれた環境

走りぬきました。

8という数字は好きです。

 

日本でも漢字の成り立ちから

末広がりで縁起が良いといわれていたり、

八岐大蛇の伝説にも8がたくさんでていたり、

スティーブン・ジェラードの背番号だったり。

 

まぁ、だからって8割雨にしなくても…….。

って話です。

残り2割だって昼間にちょこっと天気が良かったり、

雨粒が地面をぬらさないだけの曇天だったり。

そんなんです。

 

どこかほかの投稿にも書きましたが

雨は好きなんです。

 

けど旅先においてのそれは

士気低下をダイレクトに引き起こすわけで。

できれば適度に晴れてほしいところです。

 

が、願望とは裏腹に

今もベッド横のすりガラスの向こうから

かすかに水滴が地面に割れる音が聞こえます。

 

雨といえば

映画や本でも天気の存在ってのは大きくて、

雨を独特の表現で切り取っていたり、

うまく登場人物の心情とリンクさせていたり……。

 

そういう視点でものづくりをできる人はすごいな

と雨を見るたび思います。

 

ロバート・ゼメキス監督と

ブラッド・ピットのマリアンヌとか

新海誠監督の言の葉の庭とか

クライマックスに雨が絡むと何とも目が離せず

せつなくて、好きです。

 

見たいなぁ。

 

ドミトリーであった方と映画について話せば、

ジブリや侍映画、アニメに次いで

君の名は。

の名前も彼らの口から度々耳にします。

 

日本では新海誠監督の

天気の子が上映されている頃ですが、

まさか海外で見るわけにもいかないので

(上映してないしね)

 

帰った時の楽しみにしておきます。

 

何の話をしていたのか、

ちょっとよくわからなくなってきました。

 

あ、そうそう

フィリピンの大型ショッピングモールの

映画館での上映作品が

5つしかなかったって話ですね。

 

それでも値段は高くなくてですね

聞いたことのない映画を現地語で鑑賞でき……。

 

話を戻します。

 

雨がくれたチャンスと危惧の念。

 

 

連日雨の降るフィリピンでは、

街歩きよりも人との交流に時間を割きました。

 

 

 

短期旅行客なら多少の雨でも

自分のプランを強行するのでしょうが、

ドミトリーには色々な人が集まります。

 

 

 

みんながみんな

“いかに効率よく、

帰国したときに自慢できるスポットを巡るか。”

に頭を抱えてる訳じゃあないのです。

 

 

 

 

ドミトリーの共用ラウンジに

出会いはたくさん転がっていて

悔しくもそれは雨のおかげでもあるわけです。

 

 

 

起きて、いつもの朝をこなした後は

個人作業と交流を繰り返し、

日が沈んだころ適当に声をかけて

ローカルレストランで空腹を満たす。

 

 

夜はビリヤードを楽しんだり、

マクドナルドのポテトと

かっぱえびせんのばったもんで

互いの文化について夜中まで語らう……。

 

 

 

そんな毎日にあるのは、

 

来たことのない土地、

見ず知らずの人、

多国籍での会話、

ビリヤード。

 

 

一カ月前ではできなかったことばかりです。

ビリヤードなんか特に。

 

 

 

しかし、日常生活という言葉では

到底包み込めない日常に、

次第に慣れてきている自分が強くも脆く感じます。

 

 

 

人生においても、旅という章においても

自分が主人公であることへの自信に

らぎはないのですが、

 

 

目の前にあることを当たり前だ

と思ってしまっている瞬間にひやっとします。

 

 

 

どこかに

わき役の心構え

も備えておかねばいかんのです。

 

 

 

一昨日だって

中国、フィリピン、日本、ベトナムと。

 

サミットさながらの会話の中で、

当然のように英語で会話をし、

以前からそうであったように

四人で笑いあっていました。

 

 

 

異文化交流を実感した僕の心は

興奮に膨張していて

 

世界地図の上にでも立って、

海を越えて手をつないでいるような感覚

 

だったと思います。

 

 

文字通り図に乗っていたわけです。

 

 

慣れって怖いです。

見るべきことを霞ませて、

満足感を視界に滲ませてきやがります。

 

 

 

霞んだ視界に、

サミットが行われているテーブルとは

離れた赤いソファ。

 

 

 

そこに招待状を持っていない

いや、招待状を待っている人影がありました。

 

恥ずかしい視界。狭い世界。

 

 

数日前、一人フィリピンに来た時。

僕を取り囲むのは

 

 

異国の地。

知らない文化。

クラクションの止まないストリート。

銃を持った警察官。

先入観。

 

 

僕は空港前で

物理的にも心理的にも一人でした。

 

 

 

一人でいるときって、

自分をとりまく世界がばかでかく感じるものです。

 

 

 

でも、孤独なんですけど、

その分視界が開けてる気がするんですよね。

自分が小さすぎるもんだから

いろんなものに目が行くというか。

 

 

 

怖いのは、安心とか仲間とかで作られた

コミュニティに入った時です。

 

 

 

途端、自分を取り巻く世界が、

仲間のこと

コミュニティの会話

行動とかに縮小されるんです。

 

 

取り巻く世界が小さくなるとどうなるか。

 

 

 

相対的に自分が大きく

感じるんですよね。

 

 

 

まるでちっぽけなままなのに。

 

 

視界が仲間で埋め尽くされて

いっぱいいっぱいになってしまうんです。

 

 

まさに、図に乗っていた、

世界地図にのっていた自分そのものです(前章)。

 

 

普段からそういった人間を

批判していたはずなんだけどな。

 

 

これじゃあ、まるで

自分が嫌っていた大学生と同じじゃないか。

 

一人だと気遣い、配慮ができるのに、

集団になった途端

廊下や道端でたむろし始める彼らと

同じじゃないか。

 

 

 

自分を取り巻く世界の充実だけに目を奪われ

外界への配慮を欠いてちゃ、

まるでだめだめです。

 

 

ふとした瞬間に気付けたことが救いですが。

こうやって文字に起こす習慣があるから、

気づけたのかもしれないです。

 

 

細かいとこまで

目を凝らすように頑張っているから。

 

 

まぁ、その時の天気さえ覚えていないので、

全く足りていないわけなのですが……。

 

視界を広げたからって、正しい景色とは限らない。雲行きは怪しい。

 

気づけたことに安心せず、

常に主役兼わき役として、

冒険しつつ周囲に気を配り、

うまく立ち回っていくことを

忘れないようにします。

 

 

 

楽しかったり

へこんだりの毎日でしたが

雨のおかげで

たくさんの人と話す良い経験が出来ました。

 

 

 

図に乗らず

非日常と慣れあわないようにしよう

と思えたのも良い経験でした。

 

 

招待状を待っていた彼に

 

「良かったら一緒に話さない?」

 

と、聞いたら、

 

「ごめん、もう出るから」

 

と、断られたのも良い経験でした。

 

 

 

おれだって

 

明日フィリピンでるもん

 

いいもん。

 

 

 

まってろ、インドネシア!(逃)

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