【窓】「”大人”に読んでほしい」-ジョグジャカルタ地元の子たちが遊ぶ公園。

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何年か後の自分に読んでほしい

 

どこの国へ行っても子供が楽しそうだといいよね。大人だって楽しくしてなきゃね。何年か後の自分が楽しんでなかった時のために思ったことを書いとくよ。

 

っていう投稿。

(楽しくない誰かに届けばそれもまた良き)

 

しょうもない世界

 

 “大人には色々ある”“子供のころに戻りたい”って悲劇のヒロインぶって不満そうに言う人がいる。一定数、そうやって感じている人がいる。

(最近では、”自分頑張ってます系”の友達が”あの頃に……”って言ってた。)

 

 おい、そういう奴ら、しょうもない。しょうもないよ。

 

 色々って言っときながら、君らの色々が指してるのは苦痛とかストレスとかそういう”色々”でしょ?自分を取り囲む色がそれしかないと思い込むなんてしょうもないが過ぎるよ。

 

 うん、でも、まぁ、濁った色ばかりが目に留まるのもわからんでもないさ。明るい色って光で白く飛んでるからさ、漆黒とか群青とかそういう色の方が重く感じるんじゃない?(知らんけど)

 

 確かに、”色々”あることには同情も理解もするよ。

 

 だから、ここでは、色々の色の一色を何年後かの自分に思い出してほしくて書き残すことにする。なんで数年後、自分が悲劇のヒロインになってる前提で話しているかは、わからん。

 

 わからんけども、答えがあるとしたら、きっと”色々”あるからだ。

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ほら、そういう世界

 

 いま、僕がいるのはインドネシアの、ジャワ島の、南部の、ジョグジャカルタの、ホステルの、18番の、ベッドなんだけど。このホステルがすごくってさ、一泊500-600円とかそこらなのよ。

 

 ドミトリーっていう相部屋みたいなのだから安いんだけど、なにがすごいってさ、このホステルにはプールがついていててね。ホステル利用者はみんな泳ぎ放題なのよ!

 

 屋根も吹き抜けてるから南国の太陽光浴びながら、雑談したり水球したり、浮き輪で浮きながらうとうとしたり……。もうリゾートよ。遊び疲れたらプールサイドにあるベンチ(カクテルとビーチパラソルが似合う白くてあみあみの水平にちかいあのベンチ)で休んでさ。ほんとリゾートよ。

 

 こんな生活を送ってる人の視界はさ、サフランイエローとかライムグリーンとかプールブルーとかそんな色で溢れてるんだろうね、いいなぁ。

 

 あ、僕は泳げないし、暑いのも得意じゃないから視界はそんな色じゃないし、リゾート満喫もしてないよ。だからさっき言った何行化のことは憶測ね、忘れてもらっていいよ。

(何年後かの自分は泳げてますか。)

 

 そういうわけで、リゾート風なホステルにこもって南国していると忘れてしまいそうになるんだけど、ここジョグジャカルタは古都ってやつでさ。街並みとか遺跡とか宮廷とかそんなのが面白いのよ。

 

せーま
せーま
 

遺跡とか宮廷とかのことは別でまとめるから見てね。

 

 街並みが面白いっていいうのはいいよ。お金もかからんしね。毎日うろうろうろうろしてる。

 

 ジョグジャカルタの街には観光客とバイクがあふれててさ、「観光地だなぁ」って目は思うんだよね。でも僕の意識、っていうか世界一周をしてるんだ!っていうイタさは「それで終わるな!」って呼びかけてくるわけよ。

 

 だからって何をするのか、っていうのが難しいんだけど、ここ何日かは、路地とか露店とか民家とか教会とかをひたすらに練り歩いて観察してたんだ。そんな中、ふと思ったのは「子供すくないな」だった。

 

 全然いないのよ!子供が!うわぁ、これが観光地の現実か……。とか思ったよ。「現地感じてるぜ…」ってね。 

 

(後々聞いたら、平日だからみんな学校に行ってるだけらしいです。平日に街歩きは初で、思えば週末は遠出してたような……。)

 

 道端の落ち葉を何時間も掃いている

 (靴は履いていない)

 おばあちゃんに何回かすれ違ったりしながらさ

 (方向音痴) 

 子供の影を探してたのがだいたい午後3時くらい。

 

 何時間もかけて街を練り歩くって結構大変で、現地の人に話しかけて気を紛らわしながら歩くんだよね。

 ただ、飽きることはないんだ。だって、目に飛び込んでくるのは。 

 

 虫が多い中雑に干された洗濯物、我が物顔で道路の真ん中を歩く鶏、使われてない人力車の墓場、僕には無いセンスで描かれたストリートアート、宗教服を着た人群、しっぽの切れた猫、ごみの詰まった排水溝、軸の歪んだカーブミラー。

 

 

 そんな非日常(=非日本)の景色ばかりだもん。それこそ、視界を覆うのは”ジョグジャカルタ色”っていったとこ。ジョグジャカルタ色が褪せないように、濃く目に焼き付けてるときに適当に路地を曲がるとさ……。

 

 みて!広場があった。

 そして、子供がいた!(画像右奥)

 

 わくわくとウキウキで、疲れも暑さも吹き飛んだ心で彼らを見ていられそうな位置に腰をおろすことにしたよ、半ば無意識のうちに。

(疲れと一緒にジョグジャカルタ色もちょっと飛んでった、かも) 

 

 コンビニで買った水を飲みながら耳だけ子供たちのいるほうに傾けてみたんだけど。そしたらね、彼らが何言ってるかいっこも分かんなかったー!!まぁ、当然か…。言葉の壁ってすごいや……。

 ジョグジャカルタの子供たちを見て、少し悲しく感じるのは、自分の無知のせいかもしれないし、傾き始めた太陽のせいかもしれん。

 

 のども潤ったところで次は、目で彼らを追うのね、耳と選手交代。(厳密には交代ってより共闘)そしたらね、めちゃくちゃ楽しそうでやんのー!!はちきれんばかりの笑顔、笑顔。笑顔の力ってすごいや……。子供のパワーってすごいや……。

 

 自転車で追っかけっこしてさ、ブンブンブンブン言ってるの。バイク文化の盛んなインドネシアではやっぱりバイクが身近で憧れなのかな、イニDの影響かな。

 

 とか思いつつ眺めてる。コロコロ笑いながら遊ぶその子らは、遊びもコロコロ変えてさ、木の実投げ合ったり、地面に絵描いたりしてコロコロしてた。

 

 いやぁ、楽しそうだった。子供が自然に遊んでるところを見るって、普通に大学生してるとあまりなかったかもしれない。兄弟も小さくないし、日常でちびっこに接することって、ほとんどない。良いもんだね、子供は。良いものだと思った、子供の笑顔は。

 

 子供のころに戻りたいな、って人がいるのもわかる気がした。“大人は色々大変だ”って、“しがらみばかりだ”。って思うのもわかる気がした。

 

 だって木の実を投げる子供たちの目に曇りがなさ過ぎてさ、一級品のレンズでさ、きっとそのレンズはいい感じにフィルタリングして暗い色を取り除いてくれてるんだもの。あんなに輝くかね、人の目は。

 

 彼らに”社会のしがらみ色”とか”理不尽への不満色”とかが見えるんだろうか。僕ら大人の目とは全くの別物に思えてしまう。

 

 大人のレンズはフィルタリングがバカになってるのか、嫌な色を多く取り込む気がする。きっと、それが“大人には色々ある”“色々”だ。

 

 色々。

 タイムラインで流れてくるバイトへの愚痴色。

 顔で笑って心で黙れやって思いながら接客する色。

 すごくもない先輩・上司にすごいですねっていう色。

 自分が諦めた夢を追っている誰かへの嫉妬色。

 鬱陶しい就職の圧色。

 自民党がどうとか最近のテレビがどうとかいう色。 

 

 嫌な色がたくさんだ。目が疲れる。でも子供の一級レンズと交換するわけにもいかんし、これまた鬱陶しい。

 

 そもそもレンズが曇るのはなんのせいだろう。時間の流れ、頭の固い大人、風習、雰囲気、強要。上げ連ねると何だかしょうもない。

 

 こんなものに汚されてしまうのだろうかって感じだね。でもね、それでもいいや、と思ったよ。っていうか、そんなに嫌な色ばかりじゃないと思ったよ。子供たちを見ててね

 

 嫌な色ってきっと凄く濃くて、綺麗な色を塗りつぶすくらいの濃さで、めちゃくちゃ威勢がいいのね。イコール、しがらみとか葛藤ととかよ。

 

 んでもって、そのなかから見たい色を探すこと、嫌な色を好きになること、むしろアートににでもしちゃうこと。それが趣味とか憧れか夢に当たることだと思うんだ。

 

 きれいな色をピックアップする方法ってたくさんあるんだろうけど、僕にとって身近なのは、嫌な色から離れることと、綺麗なレンズを借りること。つまり、世界一周の旅に出たことと、楽しそうにしてる人をみること。

 

 今日は、ちびっこのレンズを通して光が、綺麗な色が屈折して屈折して屈折して僕の目に映ったんだと思う。

 

 人のレンズを借りてるわけだから、残像みたいな蜃気楼みたいな「楽しそうだな、素敵だな」ていうぼんやりとした景色しか見えてないんだけど、それでも嫌な色ばかりじゃないと思ったのよ。

 

 それに、子供たちが楽しそうにしてるのをみて、これだけでこの世界は合格点をとっていると思ったよ。

 

 それにそれに、同時に大人も楽しくしてなきゃいけないな、とも思ったよ。こどもが僕らのレンズを通してしがらみや葛藤に心や期待を汚しちゃきっとだめだから。

 

 無茶苦茶かもしれないけど就職とか、お金とか、人間関係とか葛藤とか。そのすべて、突き詰めると子供が笑ってるからOKにつながるんじゃないかと思ったんだ。

 

 大人のみる嫌な”色々”の先に子供が映るなら、不平不満ばかり垂れていないで頑張れるんじゃないかな?(少なくとも僕は。)

 

 逆を突けば、環境的に経済的に、国際情勢的に幸せだと言えない子供がいるのなら。おとなによって作られた環境で笑えていない子供がいるのなら。この世界と、大人の頑張りは不十分だってことだ

 

 頑張らないと。大人が頑張らないと。大人になる世代が頑張らないと。

 

 嫌な色もきれいな色もたくさん拾って、頑張るんだ。”色々”頑張るんだ。

 

 僕の努力も当然不十分だ。まだ、筆すら持っていない。いやな色を塗り替える力も持っていない。何年後に僕は、筆を手に歩いているだろう。

 

 ”大人には色々ある”“子供のころに戻りたい”って悲劇のヒロインぶって不満そうに言う人がいる。一定数、そうやって感じている人がいる。

 (最近では、”自分頑張ってます系”の友達が”子供の頃は…”って言ってた。)

 

 おい、そういう奴ら、しょうもない。しょうもないよ。

 

 色々って言っときながら、君らの色々が指してるのは苦痛とかストレスとかそういう”色々”でしょ?

 

 自分を取り囲む色がそれしかないと思い込むなんてしょうもないが過ぎるよ。

 

 うん、まぁ、でも”色々”あることには同情も理解もするよ。だから、ここでは、色々の色の一色を何年後かの自分に思い出してほしくて書き残すことにしたよ。

 

 数年後、すこしでもきれいな色が人の視界を覆っていればいい。

 

 すこしでも多くの子供が笑ってて、すこしでも多くの大人が笑っていればいい。きっと、そんなに悪い世界じゃないし、大人の荒んだ心も捨てたもんじゃない。

 

 僕に何ができるかはわからない。

 

 子供に、大人に、どんな可能性があるかはわからない。

 

 でもジョグジャカルタに来てみて、子供たちと話してみて、思ったのは、きっと、今日より明日は悪くない。ってこと。

 

 根拠はない。なんでそう思えたか、そんなことはわからない。

 

 わからん。わからんけども、答えがあるとしたら、きっと“色々”あるからだ。

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