(日記)「大人に、なった…?つまらなく、なった…?」2019.9.21

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四年前とは違う生活リズム

時間があるようで、ない

 

 

従兄弟たちは昼間は学校に行っているし、叔父叔母も仕事にでてる。

 

家には僕一人だけなので、存分に時間を使えるのだけれど、時間があるようで、ない日々が続いている。

 

 

 

 

時間を多く持つとその分時間のたつ速度が速くなっている気がする。

 

朝8時には起きているし、夜は遅くまで起きている。

 

なのに、気が付いたら一日が過ぎていくのだから不思議だ。

 

 

 

 

まだ時間があるっていう考え方、まだ1時間ある、まだ30分ある。そんな考えのせいで体内時計が、1秒を0.1秒くらいでカウントしてしまっているのだと思う。

 

緊張感がないんだな。

 

四年前、オーストラリアで現地の高校に通っていた時は、毎日緊張しっぱなしだった。

 

 

 

 

知り合いがいない、授業が分からない、何を言っているかわからない、言いたいことが伝えられない

 

ストレスと緊張が常に体に絡みついて疲労が普段とけた違いだったことを鮮明に覚えている。

 

その日々の中で語学的にも人間的にも多少なりとも成長を感じられたのは、ストレスと緊張を振りほどく術が”勉強”しかなかったからだ。

 

 

 

 

 

環境が与えてくれた緊張を乗り越えるために努力をした。

 

高校生から大学生になって、18歳から22歳になって、そこそこの学力とそこそこの社会性を身に着けた今、緊張とストレスを感じづらくなっている気がする。

 

若い感性が失われる、大人になってつまらなくなるってこういうことなのだろうか。

 

つまらないプライドとか経験とか余裕が、成長させてくれるしがらみを産まなくなってしまっているのだろうか……。

 

 

 

 

 

すくなくともこの快適すぎるオーストラリアの生活では、しがらみの気配は感じない。

 

強いてあげるなら、「このままでいいのか」「何をすればいいのか」そんな自問が唯一成長につながりそうな緊張だろうか。

 

 

 

 

 

 

おとなになりたくないと思っていた高校時代、記憶が美化されているのかもしれないが、あらゆることに不満をもって、あがいていたように思う。

 

おとなになるってどういうことかわかっていなかった高校時代、今だって不確かだけれど、無知だからこそ生まれる疑問や悩みが若さなのかもしれない。

 

大人になるということは大人になって初めてわかることなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

そうなると高校時代の自分には分かり得ないことに悩みいらだっていたってことになる。

 

今だって人よりはいろんなことに興味を持てるほうだと思うし、人よりは、不満も疑問ももっていろんなことに取り組めるほうだとは思う。

 

 

 

 

 

 

が、人と比べたってしゃあないわけで、同大学の同年代の言動を思うとそこに勝ったところでなににもならないことは明確だ。

 

彼らにリードをとるというよりは、スタートラインの後ろに彼らが並んでくれている感じだ。

 

 

 

 

 

とにかく、体に絡みついてくるストレスや緊張を、妥協とか理不尽への理解なんかで受け入れてしまわずに成長につなげていかなければならないとこの頃強く思う。

 

 

 

 

理解のいい大人になるにはちと早い。

 

丸くなったねぇ、と言われるのはもっと先でいい。

 

 

 

 

 

どのみち失う友達もいないわけだし、自分のためにもう少しとがってみてもいいのかもしれない。

 

 

人と比べたってしゃあないけど、四年前の自分に劣勢なのは許されまい。

 

 

 

 

努力も緊張も興味も不安も成長も、当時の自分にはなかった武器を手に、当時の自分よりたくさんの経験知を得てやりたいと思う。

 

 

 

 

それでは。

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