(日記)「観光地にも垣間見える文化」2019.7.28

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時計の針二本が真上を向いたころ、ホテルを出た。それまでは今後の泊まるホテルの予約や、おおまかな予定を組み立てた。明日からは九分(漢字出ない)に拠点を移すので、今日のうちにまだいけてない場所に行くことにした。

 

台北101と士林夜市に行った。観光地巡りをしたいわけではないのだけれど、旅の勝手をつかめていないことと、文化を知る、その国に触れることがどういうものなのかも漠然としているので、とりあえず試行錯誤しつつ色々なことに挑戦していくことにしたのだ。先日、人をさそってごはんを食べに行ったのもそうだ。

 

一つずつつぶしていくしかない。

 

誰かに会う、どこかに行く、何かをする、考える。。。

 

立ち止まりさえしなければ、歩いた先になにかが見えてくるはず。見えてこないわけがない。

無論、立ち止まることが悪といいたいわけではなく、今必要なのは歩くことだ、ということ。

立ち止まって見えるのは100m先の景色や将来の展望ではなく、現状や足跡(自分の活動の軌跡)だったりする。

 

羽を休めようにも、まだ飛んでない鳥に休める羽など無いように。正しい足跡と間違った足跡をたくさんつけて、経験値とか糧にすればいい。

 

(それが大変なのだけれど…)

それは、いつかの成長した自分にまかせることにする。

 

台北101は迫力も活気もあってよかったが、個人的には圧倒的に夜市が魅力的だった。多種多様なメニューがならぶ美食区や、娯楽エリア、屋台の並ぶストリート。どれだけ見ても飽きない沢山のお店、観光客、客引き。観光地?でありながら、綺麗すぎず、汚すぎず、料理はうまく、値段もいい。この旅が始まって初めて、旅をしてる感を味わった。

 

35°をこえる熱さに空気を焼く太陽の下で、汗だくになりながら、リュック一つで狭い屋台道を練り歩く。人ごみをかき分けて、写真を撮り、文化の違い、日本ではない景色に目を凝らし、ときに店に入って涼む。

 

旅らしい。

夜市の詳細は濃すぎるので、パートごとにわけて書くが、とにかく、今日も一歩進めたのではないだろうか。

 

一人旅、日中鳴り響くクラクションや真横数センチを通るバイクにはすっかり慣れてしまい、一滴でもかくといらいらしていた汗は、妥協と諦めでシャツに吸われている。

 

数日でこのざまだ。半年続けるとどうなるだろう。もしかすると、環境を変えてそこで生活するだけで、自分の常識がすこしずつ取り払われて、当たり前を懐疑的にみらしされるようになり、成長していけるのかもしれない。日本人らしさはすこしの間、ポケットか、リュックの中にでもしまっておこうか。

 

それでは、また。

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